なぜ私が子がめの勉強にあまり熱がないかと言うと・・・
それはばーば(私の母)の存在が大きいです。
真面目に見えるのに勉強ができない残念な子
私の幼少期、小学校の中学年くらいまでは芸術的な方向にのみ秀でるところがありました。
そして、小学校時代はかなり大人しく内向的でした。
そんな私は、周りの大人や学校の先生に『大人しくて良い子』と言われがちでした。
そしてそれに伴って、成績も悪くはないのですが・・・学力はかなり残念な状況でした。
おそらく、クラスの半分よりも下だったと思います。
クラスで目立つお調子者たちがしょっちゅうふざけて先生を怒らせる。
そんな彼等は生活態度での減点で成績表はあまり芳しくないものの、しかし、テストの点数は私より良い。
一見真面目に見えるのに、そして、その流れから勉強もできそうなのに、できない私。
残念。
表面的には『良い子』で通っていたので虐げられることもなかったのですが、自分の中では、「バカなのに、『良い子=頭も良い子』と思われがちで辛いなぁ・・・」と幼心に思っていた記憶があります。
ギャルになりたくて小5で塾へ!!
しかし、そんな私に転機が訪れました。
そんな、雰囲気と実際が異なり、雰囲気で良く評価されがちなところに罪悪感があった私。
その当時の夢は高校生でギャルになることでした。
おバカだった私は、この学力じゃ高校生になれない!!
つまり、ギャルになれないじゃないか!!
と思い、両親に頼んで小学校5年生で塾に通わせてもらうことにしました。

高校なんてレベルを落とせば行けないことなんてないのに・・・
しかも、私がやりたかったのは地元でゆる~くなギャル高校生。
田舎の地元はレベルが高くないので・・・おそらくそのまま塾に通わずとも高校生でギャルにはなれました。
おバカな私はなぜかそのままでは高校生(ギャル)になれないと思っていました。
そうです・・・その時の私は勉強もできないし、地頭も悪かったのです。
単純に、その時は両親が選んでくれた塾に行ったのですが・・・

なんでもやってくれる両親に一人っ子の私。
恐ろしく主体性の無い私がしっかり完成していました。
後から知った話、それは中学受験用の塾でした。

中学受験用の塾は、使用する問題がクセ強めです。
しかし、その塾で謎の私の能力が開花し・・・
学校での勉強結果には結びつかなかったものの(中学受験用の勉強と公立小学校の勉強にマッチしないのは当たり前・・・)、毎月あるテストでは一番上のクラスを維持し続け、その中でもかなり上位の成績を収めていました。
母(ばーば)の変化
それが失敗。
それまで私の得意で好きな芸術面をひたすらに褒めてくれていた母。
私の作品が展示会に出品されると、それはそれは嬉しそうに毎回喜んでくれました。
私の長所を、やりたいことを、そのまま伸ばしてくれていた母。
勉強勉強と言うこともなかった母。
それが、塾の結果を見て、『親がめはやればできる子!』と母の中の教育熱に火をつけてしまいました。
そして、そんな母を父も支援する形。
気付けば、私のためになんでもやってくれる両親の期待に応えるように、与えられたものを淡々とこなすという構図が出来上がっていました。
それでも、中学にあがると学力が付いたのか、初めての学校のテストでは300人程度いる学年のまさかの3位をとりました。
塾での成績はずっと良かったものの、学校では変わらずおバカだったので自分でもびっくり。
そして中学校のクラス分けは、小学校の勉強成績も考慮されるので・・・クラスごとに成績の隔たりが出るということはあまりないはずなのですが・・・
私のクラスには学年1位の子と3位の私。
担任は鼻が高くなって大喜びでした。

その1位の子は同じ小学校出身で、小学校から頭が良いと有名だったので・・・
そんな子と肩を並べることができるなんて自分に驚き。
そしてその子とは実は塾も一緒だったのですが、その子は学校も塾も両方で成績が良かったです。
中学の時には、学校の勉強にあまりやる価値を見出せなくなり、しかし勉強だけという生活にも疲れ・・・
結局、中学2年生の時にこれまた両親に頼んで、「受検の時には(今のレベルに)戻るから。」と塾を辞めさせてもらいました。
その間にしっかり遊んで。
しっかり部活に打ち込んで?(地域最弱だったのでちょっとここは疑問)
その時の私は、ブランクがあっても元の学力に戻るという、根拠のない謎の自信がありました。
そして、中学3年生で塾に復帰した際、最初こそクラスを1つ落としたものの、次のテストでその自信のとおりに1番上の元のクラスに復帰。

その間、学校でのテスト順位はほとんど変わることはなく。
中学で適度に周りとじゃれつつ社交的になった私は、その頃逆に雰囲気的に成績が良い(勉強ができる)とは周りに思われていなかったので・・・
そんな状況を利用してテストの結果で良く賭けをしていました。
そして、高校受験に入るのですが、私の成績に目を輝かせる塾の先生と両親の手前、ギャルになれる高校に行きたいとは言い出せず・・・

今考えれば、大人たちの希望にも会う、偏差値のずば抜けて良く、自由度が高い学校でギャルを目指せばお互いウィンウィンだったのですが・・・
大人たちが勧める学校は真面目な進学校。
そして地頭の悪い私。
1年好きにさせてもらったし・・・と、モチベーションのないままにそれを受け入れて前に進んでいました。
結果、ランクとしてはまぁまぁな、しかし塾の先生や両親からすると「もっと上に行けたのに。」という一番上のランクの滑り止めレベルの高校に進学しました。
憧れの高校生、しかしギャルには程遠く
私がその高校に決めた理由は、大人たちがが勧める他の高校よりも、そこの高校の制服がかわいかったから。
ギャルになれずとも、少しでも自分の理想の女子高生になりたかったのです。
しかし、そこは追い越せ追い抜けの進学校。
規律がとても厳しく、せっかくのかわいい制服も周りの学校には「あの学校、制服かわいいのに着てるのみんなブス。勉強しかしてないからね。」と言われるような学校でした。
結局、厳しい規律のせいで、スカートは短くできず、傍から見ると、長いスカートとハイソックスが切れ目なく続いている状態。
そして、髪型も指定。
ダサすぎる。

下校時には先生が途中駅に立っているので、下校時に制服で遊びに行くということも叶わず・・・
なんのために、このかわいい制服を選んだのか。
こんな少し考えればわかりそうなことにも考えが及ばない地頭の悪さ。
そして、進学校というだけあって、勉強のレベルは高く、高校に入ってからは、私も学校の授業もついて行くのがやっとでした。
その学校でも一番上のクラスで、その中でも成績は良かったものの、今まで学校生活をゆる~く過ごしてきた私にはかなりのストレス。
結局、やりたいギャルもできず、勉強勉強な毎日に嫌気がさし・・・
高校を自主退学しました(笑
ぱっとしない私の人生
その後結局、他の学校に転校し、そこでまたゆるっとライフを送りつつ、大学、就職と一通り経験したのですが・・・
ここまでの人生の感想は、『勉強だけできたところで、結果これ(今の私)』というところ。
それなりの就職やそれなりの大学で良いのであれば、高校は指定校推薦がもらえる、レベルの低い学校の中で良い成績を納めることで、きっとギャルをやりながらゆる〜く楽しめました。
上に兄弟がいれば、そんなことも教えてもらえたかもしれないし、上の成功なのか、失敗なのかで学ぶこともあったと思います。
しかし、幸か不幸か一人っ子。
その時々のできる限りで、その瞬間のための勉強だけを頑張って、その先のことは何も考えていませんでした。
『が悪く、勉強もできない』というよりは、『地頭は悪いが、勉強はまぁやればできる』という方が良いとは思いますが・・・
結果として、勉強だけできても結果これか、という思いからは抜け出せないです。

まぁ、本当に勉強ができる方々はもっとできるわけで。
人生上を見ても下をみてもきりはない・・・
今も一日一日を怯えながら過ごしている・・・というような状況ではないですが・・・
どうしても、昔の学友たちの今の就職先や年収を聞くと、人生やっちまった感。
退学を選ばなかったら、今頃私も彼らと肩を並べていたのかな。
結局、今の社会的ステータスであれば、過去にあんなに努力をする必要はなかった。

周りの大人の期待に応えるために、淡々と目の前の課題をこなしてはいましたが・・・
期待に応え続けるためにそれなりに頑張っていました。
それなりに、周囲の期待を裏切って高校退学を選ぶほどには疲れていたんだと思います。
過去の努力を活かしきれなかったと思い続けている感じです。
過去を悔やんでも仕方がないし、その時を失敗したと思えるということは、その程度は成長したというわけで。
子がめに同じ思いはさせたくない
この私の経験を無駄にしないために、少なくとも子がめには同じ思いはさせないと思っています。
なので、私が子がめに伝えるのは、今、私があったら良かったなと思う能力。
英語とお金の知識。
英語に関しては同時通訳の技術も発達して、正直もはやいらないかな?とも思うのですが、世界には生まれながらに何ヶ国語をも話す地域で育つ子もいるわけで。
その子は、それを普通として成長していきます。
なのでその感覚で、子がめが『勉強』『やらされてる』と思わない程度に、私が英語で話しかけたり、英語のコンテンツを見せたり、そんな程度でやっていって、少しでも子がめの将来の足しになったらもうけもんだな、と。
そしてお金については、お小遣い制が若干くずれつつあるのですが・・・これは私がシングルということもあり、本当に子がめには身につけておいて欲しい力。
もちろん、子がめに経済的に苦労をさせる気が満々ということではないですが、やはり私に何かあった時、1人でも生きていけるようにそれなりの力を付けてあげたいです。
結局、お金の知識を得るにも、情報を読み解く読解力だったり、数字を扱った計算力だったり、いわゆる『勉強』からは逃れることができないです。
できるにこしたことはない。
しかし、できすぎる必要はない。
自分にできないことは、技術に助けてもらえば良い。
周りの人に助けてもらえば良い。
なので私は母(ばーば)のようには勉強にアツくはなりません。
子がめに対しても母(ばーば)の教育熱は現存ですが、そこは既に母と話し合っていて。
母が熱心な代わりに、私はそういった面は控えることにしています。
そして、子がめが難色をしめしたら、立ち止まってその時に話し合う。
そして、子がめが勉強で息苦しくなった時には私の元に駆け込めるようにする。
役割分担。
子がめ家はこんな感じです。
もちろんこの先、母(ばーば)が年老いて子がめに同じ様に教育熱を注げなくなるかもしれない。
他にやるべきことができて、そこまで熱を注げなくなるかもしれない。
その時、私は子がめに勉強勉強と言うのか・・・それは、その時に考えようと思います。
子がめに自分と同じ思いや人生は歩ませたくない。
しかし、子がめも我が子と言えど、私とは違った人間。
違った考えや感じ方をするわけで。
もしかしたら子がめにはばーばの方法が最適かもしれないし、そうでないかもしれない。
引き続き、私は私で必要と思う生きる力を子がめに伝えつつ、勉強については子がめとばーばを見守っていきます。









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