問題児次女の話を教師の友人に報告

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新しい家族期
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ステップファミリーは終わったわけで、いつまでも考えていてもしょうがない気もするのですが・・・

そして、「今のところ今回ダメになったから、はい次!」と気持ちがそっちに向いているわけでもないのですが。

それでもやはり子がめに父親を・・・と考える時もあり。

現役で教師として働く友人と久しぶりに会う機会があったので、話しを聞いてもらいました。

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友人について

その友人とは高校の部活が同じでした。

そして、大学時代で少しブランクができたものの、地元が同じという縁で社会人になってからも細々と関係が続いていまして。

有難いことに、今も子がめと遊んでくれて。

母子共に仲良くしてもらっています。

高校が同じということは、すごく大雑把な言い方ですが、それは、お互いにだいたい同じような部類の人間ということ。

それは、学力だったり、おうちがある場所だったり、そこから親の年収だったり、そしてまたそこからそれまでの経験値だったりが近いということ。

なので、考え方や着眼点まで一緒とは言わないですが、ほんわかと物事の考え方が近い気がします。

そのため、何事も話しやすいです。

話しやすいというのは、『心を許せる』というのもそうなのですが、ここまで言えば理解してくれる、とか、ある程度「これが常識だよね~。」と思うところが一致しているということ。

話が友人からは少しそれるのですが、社会人になってすぐの頃から、このことについて凄く考えさせられるようになりました。

それは、「同じような人、同じカテゴリーの人と関われていた学生時代って幸せだったんだな~。」ということ。

わたし
わたし

私は『学力で全てわかる』とか、『学力が全てを決める』と思うタイプではないですが・・・

やはり学力を聞けば、その学力に到達するまでの、先に列挙したようなところが想像できるし、それは出身校も同じ。

なので、学力や出身校がその人を知るための、ある程度の指標になると考えています。

もちろんその中でも合う、合わないはありますが、母数として同じ部類の人の中から合う人を選べる学校というシステムはとても楽をさせてもらっていたんだな、と今になって思います。

会社では、上司や同期、後輩など、たまたま同じ時期にその会社で過ごすことになった方々がいます。

その中で、そういった学生時代のような『話しやすい』人を見つけるってとても難しい。

さらに、会社以外でも、様々なコミュニティーで何か共通の趣味があって話し始めても、話しが進んでいくうちに、「あ。この人にはこの話しをしてたらダメかな。」「あ。ここはそういう考えるの?」とズレが見えてきて、なかなか『話しやすい』と感じる人は少なくなっていく気がします。

話は戻って友人の話。

友人は新卒からずっと小学校の先生をやっていて、途中で一旦海外へ現実逃避に走った私とは違って、経験もたくさん積んで、今現在しっかりと中堅どころです。

小学生は日本では一番大きな年齢の幅の子供を扱うので、小1~小6まで、たくさんの子供たちを日々みることができる。

言い方は悪いですが、それだけたくさんのサンプルデータをもった友人、そしてプロフェッショナルの観点から、次女ちゃんの言動と、それに対する私の対応を批評してもらいました。

ステップファミリー期の次女の問題行動を聞いてもらう

ステップファミリーをやり直すこともできないし、もはややり直したいとも思ってはいないのですが。

やはり、何か私にもっとできることはあったのかな。

もしくは、私が次女ちゃんをより悪い方へといざなってしまったのかな。

考え出すとどうしてもネガティブな方へと気持ちがいきがちで・・・やっぱり私も「あなたのせいではないよ、あなたはできるだけのことはしたよ。」と誰かに言って欲しいのだと思います。

ただ、もしもその誰かから希望通りその言葉が聞けたとして、「それはその人がたまたまそう思ってくれるだけで他のみんなは違うかも。」とか「そう思わない人もいる。」とか・・・

やっぱりネガティブぐるぐるは回り続ける気はしています。

そんなことを思いつつも、機会が巡ってきたので友人にお話。

簡単に、ステップファミリーとして生活をしており、しかし相手方の次女ちゃんの行動に私が耐えられずにその関係が終了した、と伝えました。

今までの感じだと、この友人にはもっと頻繁に会っていたので、こんなに一気に近況報告をすることはないのですが・・・

今回遊ぼうとするたびに子がめの体調不良と重なっており・・・うまくタイミングが合わずに気づけは1年以上ぶりでした。

その間もLINEやらなんやらで伝えようと思えば、伝えることはできたのですが・・・

なんだか当時から、誰かに色々相談やら話を聞いてほしい気持ちはあったのですが、どうもそれを文字としておこしてしまうと自分の中でショックを受けるというか。

それに、何かの拍子に彼や次女ちゃんがその文面を見てしまったら、間違いなく気持ちの良いものではないだろうし、というかそれこそ家族が終わるかもしれないし。

かといって毎度その履歴を消すのも、やましいことをしている感じだし・・・

なんだかこんな変な気持ちがありました。

わたし
わたし

この感覚、わかるわーって方いらっしゃいますか・・・?

なので、かなりの情報量になりましたが、とにかくばーっとお伝え。

すると友人は「親がめはよく頑張ったよ。かなり丁寧に人の子供に対応したと思うよ。それは次女ちゃんに問題あり。というか全体的にそれまでの家庭の愛情不足だろうね。」

と。

『人の子供』という表現に、ステップファミリー期間は過敏に反応し、なんで私は子供が3人。と思っているのに、皆『自分の子供』、『人の子供』と分けるんだろうと憤りを感じていましたが・・・

なんだかこの時すんっと、「次女ちゃんは人の子なんだよな~。」というのが私の中に入ってきました。

そして、友人の回答としては、意味希望通りの答えが聞けたわけなのですが、やはり思った通り、これで急に私の視界が開ける!というようなことでもなく・・・

しかし、友人に「私のとった行動は間違っている。」と言われなかったことに安堵している自分がいました。

次女ちゃんが空気が読めない話については、「そういう子、クラスにまぁ毎年一定数いるよ。とにかく大きく浮かないように笑顔でやり過ごせればよいんだけどね。」と。

次女ちゃんが死にたいという話については、「完全に『かまってちゃん』だね。というか、普段も、自分から誘ってこないけど目ではずっと追ってきて、皆の輪に誘われたいとか、1回誘われても1回は断ってみて、もっと誘って欲しい『ほしがりちゃん』いるよね~。」と。

次女ちゃんの賭けバドミントンの話については、「関わりたくないね~。というか、正直はじまりが放課後だから、学校の責任じゃないって言えばそうなんだけどね。」と。

私は間違ってなかった。

しかし、それで全てが晴れたわけではない。

なんとも言えない感じでした。

教員の友人の意見を聞いて、私の思うところ

賭けバドミントンは、特に学校側とやりあって現在も教育委員会にも話がいっている件。

教員の友人に話をするのは若干気が引ける部分もあったのです。

そして、終わってみるとやはり友人もそんな私の気持ちを察してか、友人としての立場と教員としての立場で話しをしてくれました。

友人としてはざっくり、「とにかくまぁそんなになるまでよく頑張った。」と。

そして、教員としては学校での公聴会をした際の話で、私を『保護者』として捉えた時に、「保護者にはそういう風に捉えられてしまうんだな~。ポジティブには聞こえないまでも、『不信感』に繋がらないようにしないと行けないなって気づきをもらった。」と言われました。

詳しく話を聞くと、公聴会がった当日、次女ちゃんは彼と私には何も告げず、長女ちゃんに「先生に呼ばれたから学校に行ってくる。」と言われて消えました。

そして、公聴会の時に先生がおっしゃったのは「話したいことがあるなら学校に来て良いと言ったところ、次女ちゃんが来てくれて・・・」という説明。

ほんのちょっとしたニュアンスの違いだし、普通の状況であれば、先生から状況の説明をして下さって丁寧だなとポジティブにだって思うかもしれませんが、その当時の状況での両者の違い。

どちらが能動的に動いたのか、働きかけたのか。

私にはそれがとても重要でした。

そして、友人にはこれが『保護者からの学校側への不信感』と伝わりました。

先生を疑ったつもりはなかったのです。

その場では学校が中立の立場ということになってはいましたが、立場上、公聴会はしっかり開き、この件は解決しました、としたいはずの学校と、相手方に謝らせたい次女ちゃん。

両者が同じサイドなわけはなく、証言が異なるとすれば、どちらかが真実を言っていないということ。

どちらかが本当のことを言っている=両者への不信感ということ。

確かにな。

この時既に次女ちゃんは家族全員(子がめは除くですが)から嘘をつくことがあるとは認識されていたので、次女ちゃんが嘘をついているんだろうな、という思いが一番にありました。

おそらく、これについては本人にも先生にも重要なことではなく、つまり『嘘』とかそういう話ではない。

きっと、適当に伝えただけなのだと思います。

でも、やはり私も立場上、次女ちゃんを信じたかったし、何とか必死に先生を悪者にしても信じるポイントを見つけたかったのだと、友人の話を聞いて改めて気づかされました。

しかしこれも、次女ちゃんとの関係ができれいれば、その場で「あれ?先生に呼ばれて行ったんじゃないの?」と聞けたもの。

しかし、そもそもその報告を受けたのは彼でも私でもなく長女ちゃん。

コミュニケーションも関係性も、私たちの間には何もなかったのだと痛感します。

ただ、先にもお話したとおり、この友人は私的に同じ部類の人間と思っているので、私の考えに共感してくれるのは当然と言えば当然なわけで・・・

きっと社会には他の考え方もあるし、それが主流かもしれない。

正解がないことはわかっていますが、これからもモヤモヤし続けるのだろうと思います。

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