和食のお店に行って、釜めし定食を頼むと一人用のしゃもじがついてきますよね。
それを、空でついてきたお茶碗に自分でよそって食べる。
私はいつからその流れができるようになったのだろう。
なぜ、それが正解と知っているんだろう。
できるようになったのは、母の影響?
そんなことを考えた日の出来事です。
何を何で食べるか
カレーであればスプーン、ラーメンであればお箸、パスタであればフォーク・・・
自分のおうちでご飯を食べる時、そのご飯を何のカトラリーを使って食べるか。
出してもらったものでそのまま食べる人が多いのでしょうか。
それとも、自分で選ぶ人が多いのでしょうか。
はたまた、食べるものが何であろうと、自分の好きなカトラリーはこれ一択、と使用するものが決まっているものなのでしょうか。
若い頃に、お箸で食べるパスタ屋さん、というものに行ったことがあります。
その時、それがなぜなのか、「箸で食べるスタイルとお店が言っているのだから、箸で食べよう。」というくらいにしか、当時の私は思っていませんでした。
学校給食だって、内容に合わせてスプーンの日もあれば、お箸の日もあって、それが勝手に配られる。
配膳されたものを「変えて下さい。」と、わざわざ給食室に行くなんてことは考えたこともなかったです。
おうちでも、母がその日作ったものを、食べやすいカトラリーで出してくれて、それがそのメニューを食べるのに適していない、なんてことはほとんどありませんでした。
私の若い頃は完全に「出してもらったもので食べる」派だったと思います。
それが自分でご飯を作るようになると、洗い物が少ないように、とか、せっかく新しく買ったから、と食べるものとは関係なく、カトラリーを選んだり。
要するに、どのカトラリーを使うかはその人の選択というか、その人の好きで良いのかな・・・。
先ほどの箸で食べるスタイルのパスタ屋さんはなぜあえてお箸なんだろうと、今更ながら、気になって調べてみると・・・
麺の料理を日本人が美味しいと感じるために、フォークではなく、お箸で食べるスタイルに。
ゆであげのスパゲッティー洋麺屋五右衛門https://www.yomenya-goemon.com/
なるほど。
元は馴染みの薄い文化の食事でも、私たち日本人に一番の馴染みのあるお箸で、食べればおいしいと感じるかもしれない。
導入として、パスタだけどお箸?食べてみようかな?となるのかもしれない。
つまり、考え方次第なわけで、やっぱり何を使っても不正解はないのかもしれません。
家族で釜めし屋さんへ
新しい家族みんなでお出かけの途中、彼がその付近にお勧めの釜めし屋さんがあると言うので、みんなでそこに行くことになりました。
正直、「釜めしを食べに行こう!」とはならない私の実家は、釜めしにあまり馴染みはありません。
「釜めし屋さん」ってどんな感じなのだろう?
名物の釜めし一本でやってます!的な感じで、一つの釜めしにそれっぽいものがたくさんつめこまれたら、正直苦手なものがあるかもとそわそわしました。
しかし、メニューにはすき焼き釜めしや、焼き鳥釜めし、鮭釜めしといったものもありました。
良かった~。
好みの釜めしを選び、みんなで到着を待ちました。
しばらくして席に運ばれてきた釜めしたち。
いただきますをして、各自食べていました。
基本的に彼も娘ちゃん2人も大食いの早食い。
基本的に食より遊ぶことに興味のある子がめは、当然食べるのが遅めで、その子がめに食べさせながら食べるの私も遅め。
なので、娘ちゃん2人も交えてご飯を食べる時は、基本私は集中して全力でご飯にのぞみます。
ただし今日は楽しい家族のお出かけの際中で、このお食事もお出かけの一環。
食べている途中で話をふられ、顔をあげると・・・
斜め向かいに座った長女ちゃんが、取り分け用のしゃもじでそのまま釜から釜めしを食べている!
そして同じサイドで子がめの隣に座る次女ちゃんを見ると、全くもって同じ!!
そして彼を見ると、彼はお椀によそって食べているが、そんな2人の状況に全く気が付いていない・・・?
気づいていないのか、それが普通なのか・・・
悩みましたが、「そのしゃもじは取り分用で、それで食べるものじゃないよ。」と2人に伝えました。

いつも通り心臓バクバクで・・・
指摘ってどうしてもマイナスイメージで苦手です。
きっと2人もただの勘違いで、伝えて気づいただろうしこれで安心、と自分の釜めしに再び集中しました。
しかし、話を振られて再び顔をあげると、2人は引き続きしゃもじで食べている・・・
え。どういうこと・・・?
またも思考がショートする私。
結局状況が呑み込めず、強引に、彼は自分はできているけれど、2人にはその教育をしていない。つまりその彼の方針が良くない!と決めつけ、彼に「しゃもじでご飯を食べるのはやめた方が良いと思う。」と伝えました。
一瞬何のことかわからない表情で固まる彼。
2人のことだと気づくと、
彼:「2人とも何やってるんだ。」
長女ちゃん:「だってスプーンの方が食べやすいもん。」
彼:「それはスプーンじゃない。しゃもじ。」
長女ちゃん:「えー?そうなの?なんか変な形とは思った。」
あれ、やっぱり彼の方針じゃなかったのか・・・。
次女ちゃんはこういった時、基本周りのやり取りを見守るので、何も発言せず。
おうちの炊飯器から自分でご飯ついでるし、しゃもじを知らないわけじゃないよな。
でもおうちのはプラスチックで、釜めしのは木だったからわからなかったのかな。
娘ちゃん2人とご飯もシェアするし、2人の食べ残しだって食べるし、2人の普段の食事の作法が嫌ということも、私が潔癖というわけでもないのです。
ただ、「しゃもじ」についた米粒をペロペロと食べる2人を見た時、背中がぞわっとしてしまいました。
釜めし屋のしゃもじは一人専用のものですが、しゃもじの本来の用途は、炊飯器からご飯をつぐ、共用のもの。
それを直接舐めるという行為は、私には一時期流行った?チェーン店の迷惑行為のように感じてしまいました。
カトラリーは自分好みで選んで問題ない、けれど、こういった他の人と共有すべき用途のものを自分流で使うのは違うと感じました。
そして、外食時、他人の目があればなおさら。
私が2人の娘ちゃんと過ごして、私の感覚とは違うことが多く、もしもそれを今向かいから近づいてくるあの人に指摘されたらどうしよう。私も本当はあなたに同意なんです、なんて立場上言えないよな・・・。
自分の主張を反映できない彼の子の親役という構図が良くなかったと思います。
いつ、どうやって学ぶか
この釜めしお話が、子がめと同じく4歳児で、といったら話が違った気がします。
その年齢であれば、知らなくて当たり前。
親が伝えていたとして、その年齢の子供がすぐに、その意味や重要性を行動に反映できなくても当たり前。
ただし、娘ちゃんたちは小6と中2。
わかる年頃だよな・・・。
せめて、しゃもじの用途で変かなと不安があるなら聞いてくるよな・・・。
そして、しゃもじは取り分け用と私が伝えたのに、2人は貫いたよな・・・。
そしてやはり、2人の身長からの見た目を考えると、きっと周りの目はもっとシビア。
実のお母さんは半年前までいたはずだけど、教えてもらえなかったのかな・・・。
にしても、彼も気づきそうなものだけれど・・・。
彼も若い頃は仕事で家にいることが少なかったと聞いているし、家にいるはずの母にはあまり相手をしてもらえず。
つまり、2人は釜めしは食べたことがあるかもしれないけれど、それをお手本である大人と食べる機会がないままにその日を迎えたということだったのかもしれません。
他にも、お手本がないまま、自分たちで独自に、ということがかなり多かったのかなと思います。
冒頭の、私は釜めしをいつ、どうやって食べられるようになったのか。
多分、一緒に食べる両親の姿を真似るところから始めたのだと思います。
やっぱり親って重要だな。
2人の過去や、自分の常識の範囲で声がけをしたけれど、それでは通じなかったという事実になんだかぐわ~んと思考が淀んだままグルグルしていました。
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