防災意識
彼とお付き合いしていた時、お互いにそれぞれ家族をもっている・もっていたわけで、親としての防災への備えの話になりました。
私は、はじめの家族の時には、子がめが頼れるのは自分だけ、と自分一人が持てる量で、オムツ、ミルク、離乳食、タオルなど、子がめの成長に合わせてリュックサックに詰めていました。
そして、おうち待機避難用にも水や食べ物など。
対する彼は、会社支給の避難リュックはおいてあるが、中身の確認もしていなければ子供たちも大きくなって明らかに物資が足りないことは把握している、と。
子供たちことにとてもしっかりきっちり計画をたてている彼ですが、そんなこともあるんだね、なんて言いながら、じゃあ新しい家族になったらこういうことはしっかりやってみようか、とお互いに話していました。
防災センター
他の地域にも似たような施設はあるようですが、お台場に災害シチュエーションを経験することができる東京臨海広域防災公園という施設があります。
SNSに流れてくる情報をみると、どうやら災害直後の街の様子を体験できるようで、クイズ形式で対処法なども教えてくれる、小さい子にも良い施設。
お付き合いしていた時から彼と話していたこともあり、新しい家族でのはじめてのお出かけはここに行くことに決めました。
みんなで準備をして、みんなで電車に乗って。
当日は雨だったこともあってか、それほど混みあうこともなく、到着してすぐの回に参加することができました。(それぞれの回に分かれて、ガイドさんについてフロアをまわり、それぞれのシチュエーションでその時にどんな行動をとらなければならないかをクイズ形式で教えてくれます。)
いざはじまってみると、2人の娘ちゃんも一生懸命クイズに参加している。
子がめも怖がってしまうかな?と少し心配していたのですが、そんな心配は無用でした。
どうしても彼と娘ちゃんたちよりも、子がめと私ペアの方が全てのことに時間がかかってしまいましたが、途中で何度も彼が様子を見にきてくれて、一緒にまわってくれることもあり、みんなで施設を満喫することができました。
個人的には、実物大の倒壊した建物や出火しているように見える仕掛けを前にすることは日常で経験ができないし、幸運にも今までに私はニュースになるような災害に見舞われたこともなく、本当にこんなことになったら、私はこの子たちをしっかり守ることができるのか、でもそんなことは言ってられずに守らなきゃいけないし、守るんだよなと改めて考えさせられる施設でした。
災害の短編映画の解釈
施設の最後に短編の映画のようなものを見るコーナーがありました。
主人公の兄弟目線で、出先で地震に巻き込まれてから家族に合流できるまでを描いたものだったのですが、最後に、実は途中で弟くんは亡くなっていたんだ、となる親としては辛すぎる内容。
親になってから涙腺がとにかく弱くなった私はタオル無しではダメでした。
途中、みんなの様子はどうかな?と周りを確認してみると、彼はどうやら若干うとうとしている、娘ちゃんたちは2人とても真剣。子がめもじーっと画面を見つめている。
映画が終わって、辛い最期だったなぁ体験施設だし、これから気を付けよう、でオールハッピーな内容じゃダメだったのかなぁ、なんて考えていると、次女ちゃんが一言。
「弟くんは最後助かったよね?」
そうみたのか、と思う私。
しかし、長女ちゃんと彼が、何観てたん?弟くん亡くなったよ、と。
さっきまで彼がうとうとしていたことを長女ちゃんと一緒にからかっていた次女ちゃんでしたが、実はしっかり観ていた自分が理解できていなかったと気づいて、わかってたよ、と明らかに慌ててつくろう次女ちゃん。
小学校6年生だとちょっと難しい内容だったのかな?
からかう側だったのに自分のミスがわかってはずかしい、それを慌ててつくろう、その流れが全て手にとるように見えて、6年生ってこんな年頃なんだなぁ~と今まで子がめ(4歳児)しか育てたことのない私は、ただただなるほど、と思っていました。
鍵付きの傘立ての使い方
施設の入り口には鍵付きの傘立て。
各自、自分の傘をロックして入管していました。
施設を巡り終わって、入口に戻ってきて、傘をとって、さぁ外に出ようか、としたところ、次女ちゃんの様子がおかしい。
何やら鍵をガチャガチャとやっている。
彼がどうした?と声をかけて確認しに行くと、傘がぬけない。
彼が鍵は?というと、次女ちゃんは持っていない、と。
話を聞いていると、傘は入っていないけれど、鍵が抜けているところに自分の傘をつっこんでしまった次女ちゃん。
なるほど、小学生だとこんなことも起こり得るのか。
通常の使用方法とは別に、そうでない状態は注意しよう、とかそんな感じに伝えれば良いんだろうか、なんて考えていました。
すぐ帰ろう
施設を出て、せっかくお台場だし、家族ではじめてのお出かけだし、近くをまわっていくかな、お昼もどこで食べるかな、なんてルンルンしていた私。
しかし長女ちゃんが一言、早く帰ろう。
え、せっかく電車代かけて時間もかけてお台場まできたのにもう(施設は1時間程度で終えました)帰るの!?心の中で表情に出さずに驚く私。
私の友人や家族、もちろん彼とも経験してこなかった展開です。
確かに出発前から長女ちゃんが彼に早く帰りたいと言っていたのは聞いていたけれども…。
後からわかる話ですが、長女ちゃんは塾に、部活にと文武両道で頑張っていたので基本的に自分の時間は活動!休憩!活動!休憩!といった感じのサイクルで、多分施設(活動)が終わったので、返ってエネルギーチャージで寝たい(休憩)、そして勉強したい(活動)、ということだったのだと思います。
時はランチタイム、とりあえず年齢的に子がめには帰る前にご飯を食べさせなきゃと、すぐに入れそうだったファミレスへ。
このファミレス、家の裏にあるやつ…。
お台場まできて、おうちの近所に戻っちゃった。
そして本当にご飯を食べてすぐに帰宅することになりました。
施設だけで帰ることになりそうだったところ、ご飯を食べられただけ良しなのか、塾に部活に忙しい時期なのはわかりますが、他にも家族メンバーがいる私たち。
そして長女ちゃん以外のメンバーは根詰めた時期でもなく、であれば、家の近場に行き先を変えてみんなで少しのおでかけにすれば良かったんじゃ?
もしくは長女ちゃんは年齢的にも家族と行動をしなくなる年頃?であれば無理してきてついてきてもらわなくて良かったんじゃ?
中学生くらいだと、電車代も、施設の入場料ももちろん親持ちで、行くよ、と言われたからついてきてくれただけなのかな、だとするとなんだか彼がせっかく働いてくれたお金の有難みが…。
はじめての家族のおでかけにルンルンだった私は、なんだかやるせなかったです。
母ポジション
新しい家族で、母ポジションとしていた存在していた私ですが、一緒に暮らしていた時は(もちろん彼とお付き合いしていた時も含め)今まで関わったことのない中学生、小学生の娘ちゃん2人を前に、まずは2人がどんな成長過程にあるのか?どんな趣味嗜好があるのか?とひたすらに観察をしてデータを集めていた気がします。
そして、2人とは生活を共にしてだんだんと見えてくるものがあるのですが、他にその年代と関わる機会がないので同年代の基準のようなものがわからない…。
結果、同年代であった時の自分と比較して、違いの多さに考え込むことが多かったです。
子育てをしていく上で、指標なんてない、何かと比べることはない、なんて言いますが、それは基準を知った上で、この程度ならば許容できる個性を良しとする、ということなんじゃないかと思います。
あとはやはり実子が連れ子か、ということなのでしょうか。
これは過去も、今でも永遠に考えてしまうような気がしていますが、凄いなと思える秀でたところは気にならないもので、気にしてしまうのは、これで大丈夫?少し同年代(基準)と比べて劣ってない?というところ。
もちろん娘ちゃんたちに面と向かって伝えることなんてしませんが、感じてしまうののは、私が生んだわけではないからなのか。
ネガティブなものを感じ取ってしまうそんな自分は母としてダメなのではないか、でも本当に同年代の子よりも劣っていたとしたら何か対応してあげなければいけないのではないか、そもそもこんなことを考えているのはやはり連れ子だからなのか、常に私の思考をグルグルしていました。
今となって冷静に振り返ってみると、私が子がめをみる時は、何か同年代よりも少しゆったりかなと感じることがあっても、子がめはそのかわりにここが凄いんだよな、と自然に考えている。
そしてそのゆったりは同年代の基準を知っているからこそ専門家に相談とか、介入とか、そんなレベルでないことは理解している。
要はやはり情報が少なかったのだと思います。
娘ちゃんたちの情報、その同年代の子たちの情報。
お互い人生の途中からの関わりなのだから当然。
辛抱強く、根気強くやって、そのうちに2人のキラキラした部分が気づいたら気になる部分よりも多くなるはずだったのだと思います。
その前に心が折れてしまった。
2人の娘ちゃんには母としてとても申し訳ないです。
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